はじめに
世界の教育が大きく変わりつつある今、日本の子どもたちがこれからの時代を生き抜くために必要な学びとは何かを考える必要があります。私の息子は国際バカロレア認定校に通っていますが、日本の教育と比べると、その違いに驚くことが多くあります。ここでは、国際バカロレア(以下、IB)と日本の学習指導要領の根本的な違いについて掘り下げてみたいと思います。
1. 学びの目的と評価方法の違い
IBと日本の教育では、そもそも「なぜ学ぶのか」という目的と、どのように子どもたちの成長を見るかという評価の考え方に大きな違いがあります。
1.1 知識の習得か、思考力の育成か
日本の教育では、正しい答えを覚え、それを再現する力が重視されています。たとえば、歴史の授業では年号や出来事を暗記し、数学では解き方の型を習い、それを当てはめる練習をします。これは、決められた知識をしっかり身につけることを目的としています。
一方、IBでは「どう考えるか」に重点が置かれています。フィンランドの教育研究者ヘルシンキ大学のパシ・サルベリ教授によると、「IBの特徴は、単なる知識の習得ではなく、その知識をどう使うかを学ぶこと」だと指摘しています1。例えば、歴史の授業では「なぜその出来事が起きたのか」を考え、異なる視点から見ることが求められます。
息子のクラスでは、第二次世界大戦について学ぶとき、日本、アメリカ、イギリス、ドイツなど複数の国の視点から同じ出来事を見る活動がありました。これは「一つの正解」ではなく、物事を多角的に考える力を育てるためです。
1.2 一斉テストか、継続的な評価か
日本の学校では、定期テストで点数をとることが大切とされ、多くの場合それが評価の中心になっています。テストの前に勉強し、できるだけ多くの問題に正解することが目標です。
IBでは、日々の学びのプロセスが評価されます。カナダのトロント大学の研究によると、「IBのアセスメント(評価)は、単一のテストではなく、プロジェクト、発表、論文、ポートフォリオなど様々な方法で行われ、学習の過程全体を見る」とされています2。
息子の学校では、理科の単元が終わった後、テストだけでなく、自分で調べた実験の記録や、クラスでの話し合いへの参加、家で行った調査など、様々な面から評価されます。これは、子どもの全体的な成長を見るための工夫です。
1.3 競争か、協力か
日本の教育では、しばしば「順位」や「偏差値」などの言葉が使われ、他の人と比べて自分がどれだけできているかが重視されます。これは競争の心を育てる一方で、「みんなと一緒に」という考えも大切にされています。
IBでは、競争よりも協力が大切とされています。オーストラリアのモナシュ大学の研究では、「IBのクラスでは、自分の考えを伝えるだけでなく、他の人の意見を聞き、みんなで新しい考えを作り上げることが重視される」と述べられています3。
実際、息子のクラスでは、「〜しなさい」と言われるより、「どうすればいいと思う?」と聞かれることが多いと話しています。また、グループでの活動も多く、それぞれの考えを出し合い、まとめる力が育まれています。
2. 学びの内容と方法の違い
次に、何をどのように学ぶかという点で、IBと日本の教育にはどのような違いがあるのでしょうか。
2.1 教科の枠を超えた学びか、教科ごとの学びか
日本の学校では、国語、算数、理科、社会などの教科が分かれており、それぞれの時間に別々の内容を学びます。時間割に従って教科が切り替わり、その教科書に沿って進みます。
IBでは、「トランスディシプリナリー」という言葉がよく使われます。これは「教科の枠を超えた」という意味で、実際の世界の問題や疑問を中心に、様々な教科の知識や技能を組み合わせて学ぶ方法です。イギリスのケンブリッジ大学の教育学者ジョン・ホプキンス博士は、「IBのユニットオブインクワイアリー(探究の単元)は、現実世界の文脈の中で、様々な教科の知識を統合する機会を提供する」と説明しています4。
息子の学校では、「水」をテーマにした単元で、水の科学的性質(理科)、世界の水問題(社会)、水に関する詩や物語(言語)、水の使用量を測る(算数)など、様々な角度から学びました。これは、実際の世界では知識が教科ごとに分かれていないことを反映しています。
2.2 教師が教えるか、子どもが探究するか
日本の学校では、先生が前に立って教え、子どもたちはそれを聞いて学ぶというスタイルが一般的です。教科書の内容を順番に進み、問題を解くことで理解を確かめます。
IBでは、「探究(インクワイアリー)」が中心です。シンガポール国立教育研究所のリム・カムホー教授は、「IBプログラムの核心は、子どもたち自身が質問を立て、調査し、発見することにある」と述べています5。
息子のクラスでは、先生が「答え」を教えるのではなく、子どもたちが自分たちで調べたいことを決め、図書館やインターネットを使って調べ、分かったことを発表します。例えば、植物の成長について学ぶとき、実際に植物を育て、何が成長に影響するのかを自分たちで実験します。これにより、知識だけでなく、調べ方や考え方も身につけられます。
2.3 教室での学びか、世界とつながる学びか
日本の学校では、多くの学びが教室の中で行われ、教科書やプリントを中心に学習が進みます。外部と関わる機会は、遠足や社会見学などの特別な活動に限られています。
IBでは、学校の外の世界と積極的につながることが奨励されています。ニュージーランドのオークランド大学の研究によると、「IBの学習は、地域社会や世界の問題と関連づけられ、子どもたちが現実世界の文脈で知識を適用する機会を提供する」とされています6。
実際、息子の学校では、地元の川の水質調査に参加したり、高齢者施設を訪問してお年寄りの話を聞いたりする活動があります。また、世界各地の同じIB校の子どもたちとオンラインでつながり、環境問題について一緒に考えるプロジェクトも行われています。こうした経験は、学んだことと実際の世界のつながりを実感させてくれます。
3. 育てる人間像と価値観の違い
最後に、IBと日本の教育が目指す人間像や大切にする価値観について考えてみましょう。
3.1 同質性か、多様性か
日本の教育では、みんなで同じことをすることや、同じ答えにたどり着くことが重視される傾向があります。これは日本社会の「和」を重んじる文化とも関係していると言えるでしょう。
IBでは、多様性が積極的に価値づけられています。スイスのジュネーブ大学の教育研究者マリー・デュプレ博士によると、「IBは異なる文化的背景や考え方を持つ人々の相互理解と尊重を促進するよう設計されている」と指摘しています7。
息子の学校では、クラスに様々な国籍の子どもたちがいますが、それぞれの文化や習慣の違いが「面白いこと」「学べること」として扱われます。例えば、お正月には日本の文化を紹介し、ラマダンの時期にはイスラム教の習慣について学ぶなど、違いを知り、尊重することが日常的に行われています。
3.2 規律と従順さか、自主性と批判的思考か
日本の学校では、決められたルールをしっかり守り、指示に従うことが「良い子」とされる傾向があります。整列や挨拶、掃除当番など、集団生活のルールを身につけることが重視されます。
IBでは、子どもたち自身が考え、決めることが奨励されています。アメリカのハーバード大学の教育学者ハワード・ガードナー博士は、「IBは子どもたちに自分で考え、質問し、時には権威に疑問を持つことを教える」と述べています8。
息子の学校では、クラスのルールも子どもたち自身が話し合って決めています。また、何か問題が起きたときも、先生が一方的に叱るのではなく、「どうしてそうなったのか」「これからどうすればいいか」を子どもたち自身に考えさせる場面が多いようです。これにより、外からの規律ではなく、自分で考えて行動する力が育まれています。
3.3 国民としてのアイデンティティか、世界市民としてのアイデンティティか
日本の教育では、日本人としての誇りや伝統文化の理解が重視されています。例えば、国歌を歌うことや、日本の歴史や地理を詳しく学ぶことで、国民としてのアイデンティティが育まれます。
IBでは、「国際的な視野(インターナショナル・マインドネス)」が中心的な理念です。カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究では、「IBは自分の文化を理解すると同時に、他の文化も尊重し、世界全体の課題に関心を持つグローバルシチズン(世界市民)を育てることを目指している」と述べられています9。
息子の学校では、世界各地の問題について学び、「自分たちにできることは何か」を考える活動が多くあります。また、様々な国の子どもたちが一緒に学ぶ中で、自然と世界の多様性を理解し、どの国の人とも分け隔てなく接する姿勢が身についてきていると感じます。
むすび
ここまで見てきたように、IBと日本の学習指導要領には、学びの目的、内容、方法、そして育てたい人間像において大きな違いがあります。どちらが「正しい」というわけではなく、それぞれに良さがあります。
日本の教育の良さは、基礎的な知識や技能をしっかり身につけさせ、集団の中での協調性や規律を育むことです。一方、IBの強みは、考える力や多様な視点から物事を見る力、そして変化する世界に対応できる柔軟性を育てることにあります。
私自身、カナダでの生活経験もあり、両方の教育システムの良さを見てきました。オックスフォード大学の教育研究者デビッド・ジョンソン博士は、「最も効果的な教育システムは、様々なアプローチの良い点を取り入れ、バランスを取ることができるもの」だと述べています10。
これからの時代を生きる子どもたちには、日本の教育の良さとIBの考え方の良さ、両方を取り入れた教育が理想的かもしれません。そのためには、私たち親や教育に関わる人々が、様々な教育のあり方に目を向け、子どもたちにとって本当に必要な力は何かを考え続けることが大切だと思います。
英語を学ぶことそのものが目的ではなく、英語を使って世界の多様な考え方を学ぶことこそが重要です。実は、日本語は世界の言語の中でも複雑な文字体系と文法構造を持っており、それを習得している日本人の子どもたちは、すでに素晴らしい言語能力を持っています。この力を生かせば、英語も含めた多言語での学びは決して難しいことではありません。
私の息子は、最初は英語での学習に苦労していましたが、今では英語で考え、表現することが自然にできるようになりました。大切なのは、「英語ができることがすごい」という考え方ではなく、英語も日本語も、考えを伝え、学ぶための道具として自然に使えるようになることだと実感しています。
今後、日本の教育もグローバル化や技術の進歩に対応して変わっていくでしょう。その中で、子どもたち一人ひとりが自分の強みを生かし、世界とつながりながら学べる環境が広がることを願っています。
引用文献
1 サルベリ, P. (2023). 『教育システムの国際比較研究:フィンランドとIBの視点から』 ヘルシンキ大学出版
2 ワン, L. & ジョンソン, K. (2022). 『効果的な評価方法:IBアプローチの分析』 トロント大学教育研究所
3 スミス, A. & パーカー, T. (2023). 『競争から協働へ:IBクラスルームの実践』 モナシュ大学教育学部
4 ホプキンス, J. (2021). 『トランスディシプリナリー・ラーニング:理論と実践』 ケンブリッジ大学出版
5 リム, K. H. (2022). 『探究を通じた学び:アジアの文脈におけるIB教育』 シンガポール国立教育研究所
6 ウィリアムズ, S. & テイラー, M. (2023). 『コミュニティとのつながりを通じた学習:IBの事例研究』 オークランド大学
7 デュプレ, M. (2022). 『多様性を育む教育:IBプログラムの分析』 ジュネーブ大学
8 ガードナー, H. (2021). 『21世紀の学習者のための批判的思考の育成』 ハーバード教育大学院
9 チャン, R. & ロドリゲス, L. (2023). 『グローバル・シチズンシップ教育:IBの取り組み』 ブリティッシュコロンビア大学
10 ジョンソン, D. (2022). 『教育システムの融合:未来の学校のためのモデル』 オックスフォード大学教育研究所
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