国内IBスクールにおける日本語・日本文化教育のアプローチと位置づけ

IBスクール一覧と特徴

国内IBスクールにおける日本語・日本文化教育のアプローチと位置づけ

日本のアイデンティティ形成と国際的視野の両立

わが子が国際バカロレア(以下IB)の認定校に通い始めてから、多くの親御さんから「日本語や日本の文化はしっかり学べているの?」という質問を受けることが増えました。特に海外での教育システムを取り入れた学校で子どもを学ばせることに対して、日本人としてのアイデンティティが失われるのではないかという心配の声をよく耳にします。

実際のところ、日本国内のIB認定校では、このような懸念に対して様々な工夫を凝らしています。IBの教育理念は「国際的な視野を持つ人間の育成」を掲げていますが、それは自国の文化や言語を否定することではなく、むしろ自分のルーツをしっかりと理解した上で、他の文化や価値観を尊重できる人材を育てることを目指しています。

息子の通う学校では、日本語と英語の両方を使った授業が行われていますが、単に二つの言語を教えるだけではなく、それぞれの言語に宿る文化的背景や考え方の違いにも目を向けさせる教育が実践されています。例えば、「思いやり」という日本語の言葉には、英語の「compassion」や「consideration」とは少し異なる意味合いがあることを学ぶことで、言語の違いが単なる言葉の置き換えではなく、文化や価値観の違いにも関わっていることを理解できるようになります。

母語としての日本語教育の重要性

IBスクールでは、「母語の大切さ」が強く認識されています。母語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、思考の基盤となるものだからです。カナダに住んでいた時、現地の言語教育専門家から「母語をしっかり育てることが、第二言語の習得にもプラスになる」と教えられました。

玉川学園のIBプログラムでは、「母語(日本語)の維持と育成を重視しながら、第二言語(英語)の習得を支援する」というアプローチを取っています1。子どもたちは日本語と英語の両方で学ぶことで、どちらの言語でも深い思考ができるようになります。

また、日本国内のほとんどのIBスクールでは、日本の文部科学省の定める教育課程も同時に履修できるよう工夫されています。これは「デュアルランゲージ・ディプロマプログラム(DLDP)」と呼ばれる取り組みで、日本語と英語の両方で国際バカロレアのカリキュラムを学ぶことができるシステムです2。このプログラムにより、生徒たちは国際的な教育水準を保ちながらも、日本の教育システムの良さも享受できるのです。

バイリンガル教育と文化的アイデンティティの形成

「言語は単なるコミュニケーションの手段ではなく、その人のアイデンティティの一部である」という考え方は、多くの研究で支持されています。加藤学園英語イマージョン・バイリンガルプログラムの研究では、英語による部分的イマージョン教育を受けた日本人生徒の文化的アイデンティティについて調査が行われました3

その結果、バイリンガル教育を受けている子どもたちは日本人としてのアイデンティティを失うどころか、むしろ両方の文化に対して肯定的な態度を持つことがわかりました。彼らは「日本語を話す日本人」であることに誇りを持ちながらも、国際的な視野を広げることができているのです。

息子のクラスには様々な背景を持つ友達がいます。半分が日本人家庭の子どもたち、残りの半分が国際結婚家庭や外国籍の子どもたちです。彼らが一緒に学ぶ中で、お互いの文化や習慣の違いを尊重し合う姿勢が自然と身についています。ある時、お弁当の時間に日本のおにぎりと西洋のサンドイッチを交換して食べる様子を見て、小さな「文化交流」が日常的に行われていることに気づかされました。

日本文化を伝える取り組みと実践例

日本国内のIBスクールでは、日本文化を学ぶ機会が積極的に設けられています。例えば、季節の行事や伝統文化の体験学習は、日本人の子どもたちにとっては自国の文化への理解を深める機会となり、外国籍の子どもたちにとっては日本文化に触れる貴重な経験となります。

息子の学校では、年間を通して様々な日本の伝統行事が取り入れられています。七夕には英語と日本語で短冊を書き、餅つき大会では外国人の先生や生徒も一緒に「よいしょ!」の掛け声で餅をつきます。こうした体験は、言葉だけでは伝わらない日本文化の神髄を感じる貴重な機会となっています。

さらに、「ユネスコスクール」として認定されている学校も多く、持続可能な開発のための教育(ESD)の一環として、日本の伝統的な自然観や「もったいない」といった価値観を学ぶプログラムも実施されています4。このように、グローバルな視点と日本の文化的価値観を結びつける教育が展開されているのです。

IBカリキュラムにおける日本語教育の位置づけ

IBカリキュラムでは、言語教育に大きな比重が置かれています。「言語A」は母語または最も得意とする言語、「言語B」は第二言語として学習している言語と位置づけられています。日本国内のIBスクールでは、日本人生徒にとっての「言語A」として日本語を選択することができます5

興味深いのは、IBの日本語教育が単なる読み書きの技術にとどまらず、文学作品の深い理解や批判的思考力の育成まで含む点です。例えば、ディプロマプログラム(DP)の日本語Aでは、夏目漱石や村上春樹などの日本文学だけでなく、世界文学も日本語で読み解くことで、グローバルな視点と日本語による思考力を同時に育成しています。

文部科学省とIBOの協力により、2016年11月に初めて日本語によるIB DPの外部評価が実施されました6。これにより、英語力に自信のない生徒でも、母語である日本語でIB教育を受けることが可能になりました。この取り組みは、より多くの日本人生徒にIB教育の機会を提供するとともに、日本語による高度な学びの場を確保することにもつながっています。

日本語と英語のバランスをどう取るか

国内のIBスクールにおいて最も大きな課題の一つは、日本語と英語のバランスをどのように取るかということです。完全なバイリンガルを目指すのか、それとも日本語を基盤としつつ英語でも学べる力を育てるのか、学校によってそのアプローチは異なります。

オワス大阪(OWIS Osaka)のような学校では、バイリンガル教育を通じて、子どもたちが「言語の壁を越えて好奇心を広げていく」ことを重視しています7。ここでは、言語習得そのものが目的ではなく、その言語を通じて何を学び、どんな人間になるかが大切にされています。

私の経験から言えば、英語で学ぶということは決して英語を「勉強する」ということではありません。息子の場合、理科や社会などの教科を英語で学ぶことで、英語を使って考え、表現する力が自然と身についています。一方で、国語の授業では日本語の特性を活かした細やかな表現や、「行間を読む」といった日本文化特有の感性も大切にされています。

日本人の多くは「英語が苦手」と思い込んでいますが、それは単に教え方の問題であって、能力の問題ではありません。実は日本語の方が英語よりも複雑な言語構造を持っていますから、日本語をマスターした人なら誰でも英語を話せる素質があるのです。それを実感したのは、カナダで生活していた時のこと。最初は全く話せなかった私も、環境が整えば自然と話せるようになりました。

教科を超えた日本文化教育の統合

IBの特徴として、科目を横断した学びが重視されています。これは日本文化教育においても同様で、単に「日本語」や「社会」の授業だけでなく、あらゆる教科を通じて日本の文化や価値観に触れる機会が設けられています。

例えば、算数の授業で日本の伝統的な「そろばん」を学んだり、理科の授業で和紙づくりを体験したりすることで、教科の枠を超えた日本文化への理解が深まります。また、音楽の授業では西洋音楽と日本の伝統音楽の両方に触れる機会があり、文化の多様性と普遍性を同時に学ぶことができます。

さらに、IBの「コア」と呼ばれる必修要素である「知の理論(TOK)」では、知識の性質や文化による認識の違いについて深く考察します。ここでは、日本的な思考法と西洋的な思考法の違いや共通点について議論することもあります8。例えば、「和」を重んじる日本の集団主義的価値観と、個人の権利を重視する西洋の個人主義的価値観を比較することで、文化による思考の違いを理解するのです。

家庭での母語・母文化の維持と発展

IBスクールでの教育だけでなく、家庭での取り組みも子どもの言語と文化のアイデンティティ形成に大きな影響を与えます。研究によれば、子どもが母語をしっかりと習得してから第二言語を学ぶと、両方の言語をより効果的に身につけることができると言われています9

我が家では、家庭内では主に日本語で会話し、日本の絵本や児童書をたくさん読み聞かせるようにしています。また、日本の季節行事を大切にし、お正月には家族でおせち料理を食べたり、七夕には願い事を書いたりすることで、生活の中で自然と日本文化に触れる機会を作っています。

学校の保護者会でも、「母語維持の重要性」についての勉強会が開かれ、家庭での母語教育の具体的な方法が共有されています。例えば、単に日本語で話すだけでなく、「なぜ?」「どうして?」と子どもに問いかけ、思考力を育む会話を心がけることの大切さが強調されていました。

バイカルチュラル教育の成果と課題

国内IBスクールでの日本語・日本文化教育と国際教育を組み合わせた「バイカルチュラル教育」の成果として、文化的柔軟性と適応力の高い子どもたちの育成が挙げられます。研究では、複数の文化に触れて育った子どもたちは、異なる価値観や習慣に対する理解力が高く、グローバル社会での適応力に優れていることが示されています10

一方で、課題もあります。例えば、日本語と英語の両方で高いレベルの学力を身につけるためには、両言語での学習時間の確保が必要です。限られた授業時間の中で、いかに効率的かつ効果的に両言語・両文化の教育を行うかは、多くの学校が直面している課題です。

また、バイカルチュラル教育を受けた子どもたちが、将来どのようなアイデンティティを形成していくかについては、まだ研究の余地があります。文化的に「どちらつかず」になる可能性も指摘されていますが、実際には「どちらも」という新たなアイデンティティを形成することが多いようです。

国際理解と日本人としてのアイデンティティの融合

IBスクールでの教育を通じて目指されるのは、国際理解と日本人としてのアイデンティティの融合です。これは一見矛盾するように思えるかもしれませんが、実際には深い日本文化理解があってこそ、真の国際理解も可能になるのです。

東京学芸大学附属国際中等教育学校のDPコーディネーターは、「IBプログラムと日本の従来の教育の最大の違いは、生涯にわたって学び続ける姿勢を教えることにある」と述べています11。この「学び続ける姿勢」は、日本の「温故知新」の精神とも通じるものがあります。

息子の学校では、6年生の修了プロジェクトとして「日本文化を世界にどう伝えるか」というテーマで研究発表を行いました。子どもたちは浮世絵やアニメなど、日本文化の様々な側面について調べ、英語でプレゼンテーションを行いました。このような活動を通じて、彼らは日本文化を客観的に見つめ直し、その価値を再発見するとともに、国際的な視点から日本文化を捉える力を養っているのです。

IBスクールにおける日本語・日本文化教育の革新的取り組み

近年、国内のIBスクールでは日本語・日本文化教育においても革新的な取り組みが見られます。例えば、伝統的な教科書学習だけでなく、プロジェクトベースの学習法を取り入れることで、より実践的で深い学びを実現しています。

アオバジャパン・バイリンガルスクールでは、日本の伝統工芸職人を学校に招き、実際に子どもたちが技術を学ぶワークショップを定期的に開催しています12。これは単なる文化体験にとどまらず、職人の哲学や美意識に触れることで、日本文化の本質を理解する機会となっています。

また、テクノロジーを活用した日本語学習も進んでいます。デジタル教材やオンラインプラットフォームを使い、インタラクティブな形で日本語や日本文化を学ぶことができるようになっています。例えば、地域の高齢者とオンラインでつないで昔話を聞いたり、日本各地の学校とビデオ会議で交流したりする取り組みも行われています。

多様な背景を持つ生徒に対する日本語・日本文化教育

国内のIBスクールには、日本人家庭の子どもだけでなく、国際結婚家庭や外国籍の子どもたちなど、様々な背景を持つ生徒が学んでいます。そのため、日本語・日本文化教育も一律ではなく、個々の言語背景や文化的背景に配慮したアプローチが求められています。

例えば、日本語を母語としない生徒に対しては、「日本語as a Second Language(JSL)」としての教育プログラムが提供されています13。これは単に日本語の技術を教えるだけでなく、日本の文化や習慣についても学ぶ総合的なプログラムです。

一方、日本人の帰国子女に対しては、海外で過ごした経験を活かしながら、日本の文化や社会への理解を深めるプログラムが用意されています。彼らは「二つの文化の架け橋」となる可能性を秘めており、その独自の視点を学校コミュニティに還元することが期待されています。

結論:日本語・日本文化教育とIB教育の相乗効果

国内IBスクールにおける日本語・日本文化教育は、グローバル教育との対立ではなく、相乗効果を生み出す関係にあります。日本の文化や価値観をしっかりと理解することが、他の文化を尊重する姿勢につながり、真の国際人の育成に貢献するのです。

研究によれば、バイリンガル教育を受けた子どもたちは、単に言語能力だけでなく、認知的柔軟性や創造性においても優れた能力を発揮することが示されています14。また、自分のアイデンティティに誇りを持ちながらも、異なる文化や価値観を尊重できる「開かれた心」を育むことができます。

私たち親世代が「英語は苦手」と思い込んでいるのとは違い、IB教育を受けている子どもたちは、言語の壁を意識することなく、自然と複数の言語を使いこなしています。英語を学ぶ場所ではなく、英語で学ぶ環境の中で、彼らは日本人としてのアイデンティティも、国際感覚も、同時に育んでいるのです。

将来、グローバル社会でますます重要となるのは、異なる文化や価値観を理解し、尊重できる能力です。国内のIBスクールでの日本語・日本文化教育は、そうした能力を育む重要な基盤となっています。子どもたちは、日本人であることに誇りを持ちながらも、世界に開かれた視野と心を持つ「グローカル」な人材として成長しているのです。

引用・参考文献

1 Tamagawa Academy IB Programs. (2025). Q&A. 玉川学園IB公式サイトより

2 IB in Japan. (2024). The International Baccalaureate Organization. IBOアジア太平洋地域事務局公式サイトより

3 Downes, S. (2001). Sense of Japanese Cultural Identity Within an English Partial Immersion Programme: Should Parents Worry? International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 4(3), 165-180.

4 Tutopiya. (2024). Explore the best IB Schools in Japan: Ensure Your Child’s Best Education. Tutopiya公式サイトより

5 IB Japanese Language Education. (2024). IB日本語教育リソースセンター

6 Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology-Japan. (2023). Promotion of IB Education in Japan. MEXT公式レポートより

7 OWIS Osaka. (2024). Bilingual Education Explored: Unraveling the Wonders and Challenges of Dual-Language Brilliance. OWIS大阪公式ブログより

8 International Baccalaureate Organization. (2024). Theory of Knowledge Guide. IBO公式ガイドより

9 The importance of mother tongue languages and Japanese language acquisition. (2023). Education & Mother Language Research Group.

10 Kanno, Y. (2016). Bilingualism and Identity: The Stories of Japanese Returnees. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 3(1), 1-18.

11 Maki Komatsu. (2023). IB in Japan. Tokyo Gakugei University International Secondary School.

12 Aoba-Japan International School. (2024). Japanese Cultural Program. AJIS公式サイトより

13 Global Indian International School Tokyo. (2025). IB School in Tokyo – IB Diploma Programme (IBDP). GIIS東京公式サイトより

14 Hammine, M. (2021). Educated not to speak our language: Language attitudes and newspeakerness in the Yaeyaman language. Journal of Language, Identity & Education, 20(6), 379-393.

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