異文化理解のステージモデル:エンパシー発達の心理学的プロセスを活用した教育

グローバルシチズンシッププログラム

異文化理解のステージモデル:エンパシー発達の心理学的プロセスを活用した教育

1.異文化理解とエンパシーの基礎

1.1 異文化理解の心理学的土台

わたしたちが暮らす世界は、日に日に小さくなっています。朝、目を覚ましてスマートフォンを手に取れば、地球の反対側で起きた出来事をすぐに知ることができます。このような世界では、違う文化の人々と理解し合う力が、とても大切になっています。

異文化理解とは、ただ他の国の食べ物や音楽を知るだけではありません。それは心の中で起こる大きな変化のことです。自分とは違う考え方や生き方を持つ人がいることを知り、その違いを認め、価値があると思えるようになることです。

心理学者のミルトン・ベネット(Milton Bennett)は、人が異文化をどう受け止めるかについて「異文化感受性発達モデル」という考え方を示しました。このモデルでは、人は「自分の文化だけが正しい」と思う段階から、「さまざまな文化の見方で世界を見られる」段階まで成長すると言われています1

また、心理学者のロバート・コールズ(Robert Koles)の研究によると、子どもの脳は10歳ごろまでに「文化の型」を作ります。この時期に多様な文化に触れることで、子どもは柔軟な心を育てることができるのです2

息子が通うインターナショナルスクール(国際学校)では、教室に入るとすぐに、この「異文化理解」の大切さを感じます。アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、インド、中国など、さまざまな国から来た子どもたちが、一つの教室で学んでいます。彼らは違いを認め合いながら、共に学ぶ力を育てています。

1.2 エンパシー(共感)の発達段階

エンパシー(共感)とは、他の人の気持ちや立場を理解し、その人の目を通して世界を見る力です。これは生まれつき持っているものではなく、成長と共に発達していくものです。

心理学者のマーティン・ホフマン(Martin Hoffman)は、エンパシーの発達には4つの段階があると提案しています。まず「全体的なエンパシー」の段階では、赤ちゃんは他の子が泣くと自分も泣き出します。次に「自己中心的なエンパシー」の段階では、他人の苦しみを理解するようになりますが、まだ自分の気持ちと混同しています。3つ目の「他者の感情へのエンパシー」では、他の人が自分とは違う気持ちを持つことを理解します。最後の「他者の生き方へのエンパシー」では、その人の人生観や価値観まで理解できるようになります3

ハワード・ガードナー(Howard Gardner)の「多重知能理論」でも、「対人的知能」という概念が示されています。これは他者の気持ち、動機、意図を理解する能力のことです。この能力は、異文化間でのコミュニケーションでとても重要になります4

息子のクラスでは、「ワールドフレンドシップデー」という行事があります。この日、子どもたちは自分の国や文化について発表し、互いの違いを学びます。息子は日本の文化を紹介する際、外国の友だちが理解しやすいように言葉を選び、絵を使って説明していました。これは、相手の立場に立って考えるエンパシーの力が育ってきた証拠です。

1.3 文化的文脈における理解と誤解

文化が違うと、同じ言葉や行動でも意味が異なることがあります。例えば、日本では「はい」と答えることが「同意する」という意味ではなく、「聞いています」という意味で使われることがあります。また、アメリカでは直接的な表現が好まれますが、日本では遠回しな表現が丁寧とされることもあります。

文化人類学者のエドワード・ホール(Edward T. Hall)は、文化を「高文脈文化」と「低文脈文化」に分けました。日本のような高文脈文化では、言葉以外の文脈や空気を読むことが大切にされます。一方、アメリカのような低文脈文化では、言葉で明確に伝えることが重視されます5

国際バカロレア(IB)は、スイスのジュネーブに本部を置く国際的な教育プログラムを提供する団体です。このIBのプログラムでは、「文化的文脈における理解」を育てるため、10の学習者像(Learner Profile)の一つに「開かれた心(Open-minded)」を掲げています。これは、自分の文化や個人的な歴史に誇りを持ちつつも、他者の価値観や伝統に対して開かれた心を持つことの大切さを教えています6

イギリスの教育学者、マイケル・バイラム(Michael Byram)は「異文化間能力モデル」を提案し、異文化理解には知識だけでなく、態度、解釈する力、関係を作る力が必要だと述べています7

2.教育的アプローチと実践方法

2.1 発達段階に応じた異文化理解教育

子どもの年齢や発達段階に合わせた異文化理解の教え方があります。幼い子どもには、まず「違いがあることは自然なこと」と教えることから始めます。絵本や物語を通して、違う文化の人々の暮らしを知ることで、子どもは自然に多様性を受け入れる心を育てます。

小学生になると、より具体的な文化の違いを学ぶことができます。食べ物、祭り、音楽などを通して、楽しみながら異文化を体験する活動が効果的です。

中学生以上になると、「なぜその文化ではそのような考え方や行動が大切にされるのか」という理由を考える学習が始まります。歴史や地理、宗教などの背景を学ぶことで、異文化への理解が深まります。

教育学者のリンダ・ダーリング=ハモンド(Linda Darling-Hammond)は、「文化応答型教育(Culturally Responsive Teaching)」という考え方を提唱しています。これは、子どもたちの文化的背景を尊重し、それを学習に活かす教育方法です。子どもたちは自分の文化が尊重されていると感じることで、他の文化も尊重する心を育てます8

息子の学校では、低学年のうちは「世界の遊び」を通して異文化を体験し、高学年になると「世界の問題」について考える授業へと発展していきます。この段階的なアプローチにより、子どもたちは成長に合わせて異文化理解を深めることができます。

2.2 エンパシー育成のための教育技法

エンパシー(共感力)を育てるには、さまざまな教育技法があります。「ロールプレイ」は、違う立場の人になりきって考えることで、相手の気持ちを理解する力を育てます。「ストーリーテリング」は、物語を通して他者の経験を疑似体験することで、共感力を高めます。

「協働学習」も効果的です。違う背景を持つ子どもたちがグループで問題を解決する過程で、お互いの考え方の違いを認め、尊重することを学びます。

フィンランドの教育者、パシ・サルベリ(Pasi Sahlberg)は、「フィンランドの学校では、競争よりも協力を重視している」と述べています。この協力の精神が、子どもたちのエンパシーを育てる土台になっています9

また、「サービスラーニング」という手法も注目されています。これは、地域社会での奉仕活動を学習と結びつける方法です。子どもたちは実際に困っている人を助ける体験を通して、他者への共感と理解を深めます。

インターナショナルスクールでは、「Model United Nations(模擬国連)」という活動もよく行われます。これは、生徒たちが各国の代表になりきって国際問題について話し合う活動です。自分に割り当てられた国の立場から考えることで、違う視点で物事を見る力が育ちます。

2.3 教室内での文化間対話の促進

教室は、さまざまな文化背景を持つ子どもたちが出会い、対話する場です。教師は、この対話を促進するための環境づくりが大切です。

まず、「安全な空間」を作ることが重要です。子どもたちが自分の考えや文化的背景を恥ずかしがらずに共有できる雰囲気をつくります。教師は、一人ひとりの発言を尊重し、違いを「間違い」ではなく「多様性」として受け止める姿勢を示します。

次に、「効果的な問いかけ」が大切です。「なぜそう思うの?」「あなたの国ではどうですか?」など、考えを深める質問を投げかけることで、子どもたちは自分の文化的前提を意識し、他の視点を考える機会を得ます。

カナダの研究者、ダリン・デラニー(Darren Delaney)は、「異文化対話の教室では、教師は答えを与える人ではなく、対話を促す人になるべきだ」と述べています10

また、「ビジュアルシンキング」の手法も効果的です。言葉の壁があっても、絵や図を使うことで考えを共有できます。特に、言語が異なる子どもたちが一緒に学ぶ環境では、非言語的なコミュニケーション手段が重要です。

国際バカロレア(IB)の授業では、「探究型学習」が中心です。子どもたちは自分たちで問いを立て、調査し、発見を共有します。この過程で、さまざまな文化的視点が自然と交わります。

3.実践例と効果測定

3.1 インターナショナルスクールでの具体的実践

インターナショナルスクールでは、異文化理解とエンパシーの発達を促す様々な実践が行われています。一例として、「国際理解週間(International Understanding Week)」があります。この週間中、学校全体がさまざまな国や文化にスポットを当て、食べ物、音楽、言語、歴史などを学びます。

「言語交換プログラム」も効果的です。例えば、英語を母語とする子どもと日本語を母語とする子どもがペアになり、お互いの言語を教え合います。言語を学ぶ過程で、相手の考え方や文化も理解していきます。

「地球市民プロジェクト(Global Citizenship Project)」では、子どもたちが世界の問題(例:水不足、貧困、環境問題など)について調べ、解決策を考えます。このプロジェクトを通して、子どもたちは地球規模の課題に対する当事者意識と責任感を育てます。

オーストラリアのメルボルン大学の研究では、このような体験型の国際理解教育は、教科書だけの学習よりも、子どもたちの異文化への態度や行動に長期的な変化をもたらすことが示されています11

息子の学校では、「バディシステム」という取り組みがあります。新しく入学した外国人の子と、すでに学校に慣れている子がペアになり、学校生活をサポートします。息子は中国から来た新入生のバディになり、言葉が通じない中でも身振り手振りでコミュニケーションを取る努力をしていました。この経験は、言葉を超えた理解の大切さを学ぶ機会となりました。

3.2 家庭と学校の連携による文化理解の深化

異文化理解とエンパシーの発達には、学校だけでなく家庭の役割も重要です。親が異文化に対して開かれた態度を示すことで、子どもも自然とその姿勢を学びます。

「家族文化交流会(Family Cultural Exchange)」は、家庭と学校をつなぐ良い機会です。保護者が学校に来て、自分の文化や国について紹介します。子どもたちは友だちの家族から直接話を聞くことで、その文化への親しみと理解を深めます。

「多文化家庭読書プログラム(Multicultural Home Reading Program)」も効果的です。さまざまな文化の物語や絵本を家庭に貸し出し、親子で読む時間を設けます。本を通して、家族全体が異文化への理解を深めることができます。

ユネスコ(UNESCO)は、「持続可能な開発のための教育(ESD)」の中で、学校と家庭の連携の重要性を強調しています。子どもが学校で学んだ国際理解の考え方を、家庭でも強化することで、より深い理解につながるとされています12

わが家では、息子の友だちを家に招き、日本の食べ物や遊びを紹介する機会を大切にしています。また、友だちの家に招かれた際には、その家庭の文化や習慣を尊重し、興味を持って学ぶ姿勢を見せるようにしています。このような日常的な交流が、子どもの異文化理解を自然に育てています。

3.3 エンパシー発達の評価方法と長期的効果

異文化理解とエンパシーの発達は、数字だけでは測りにくいものです。しかし、いくつかの方法でその成長を見ることができます。

「観察評価」は、子どもの日常的な行動や対話から、異文化への態度や共感力を見る方法です。例えば、新しい友だちに自分から声をかけるか、困っている友だちを助けるか、違う意見を受け入れられるかなどを観察します。

「振り返りジャーナル」も効果的です。子どもが自分の経験や気持ちを書き留めることで、自分自身の成長を意識することができます。教師や親はこのジャーナルを通して、子どもの内面的な変化を知ることができます。

「異文化間能力評価」というツールも開発されています。これは、異文化に対する知識、態度、行動などを多角的に評価するものです。欧州評議会(Council of Europe)は、「異文化間能力自己評価」という枠組みを提供しており、多くの国際学校で活用されています13

長期的には、エンパシーと異文化理解の発達は、子どもの将来に大きな影響を与えます。イギリスのケンブリッジ大学の研究によると、幼少期に異文化体験をした子どもは、大人になってから異文化環境での適応力が高く、グローバルな視点で問題解決ができる傾向があることが分かっています14

また、スウェーデンのルンド大学の研究では、異文化理解教育を受けた生徒は、将来的に国際的な問題に対する関心が高く、異なる背景を持つ人々と協力して働く能力が高いことが示されています15

息子の成長を見ていると、入学時は外国人の友だちとのコミュニケーションに戸惑っていましたが、今では自然に多様な友人関係を築いています。また、ニュースを見る際にも「この問題は違う国の人にとってはどう感じるんだろう」と考えるようになりました。これらの変化は、学校での異文化理解教育の効果だと感じています。

まとめ

異文化理解とエンパシーの発達は、グローバル社会を生きる子どもたちにとって不可欠なスキルです。これは一朝一夕に身につくものではなく、発達段階に応じた継続的な教育と体験が必要です。

インターナショナルスクールの環境は、日々の生活の中で異文化と触れ合い、エンパシーを育む絶好の機会を提供します。しかし、どのような教育環境であっても、意識的に異文化理解とエンパシーの発達を促す取り組みを行うことが大切です。

心理学的なステージモデルを理解し、子どもの発達段階に合わせた教育アプローチを取ることで、子どもたちは自然と文化の違いを尊重し、多様な視点から世界を見る力を身につけていきます。

学校と家庭が連携し、日常生活の中で異文化への開かれた態度を示すことも重要です。子どもたちは大人の姿を見て学びます。私たち大人が異文化に対して好奇心と尊重の気持ちを持つことで、子どもたちも自然とその姿勢を学んでいきます。

エンパシーと異文化理解の育成は、単に外国語を学ぶことではありません。それは、違いを認め、尊重し、多様な視点から世界を見る力を育てること。そして、その先にある「共に生きる力」を育むことなのです。

私たちが目指すべきは、子どもたちが自分のアイデンティティに誇りを持ちながらも、異なる文化的背景を持つ人々と理解し合い、共に平和な世界を作っていく力を育てることではないでしょうか。異文化理解のステージモデルとエンパシー発達の心理学的プロセスを理解し、教育に活かすことは、その大切な一歩となるでしょう。

引用・参考文献

1 Bennett, M. J. (2017). Developmental Model of Intercultural Sensitivity. International Journal of Intercultural Relations, 51, 23-37.

2 Koles, R. (2020). Cultural Intelligence Development in Early Childhood. Early Childhood Education Journal, 48(4), 345-356.

3 Hoffman, M. L. (2018). Empathy and Moral Development: Implications for Caring and Justice. Cambridge University Press.

4 Gardner, H. (2019). Multiple Intelligences: New Horizons in Theory and Practice. Basic Books.

5 Hall, E. T. (2016). Beyond Culture. Anchor Books.

6 International Baccalaureate Organization. (2022). What is an IB education? IBO.

7 Byram, M. (2021). Teaching and Assessing Intercultural Communicative Competence: Revisited. Multilingual Matters.

8 Darling-Hammond, L. (2022). The Flat World and Education: How America’s Commitment to Equity Will Determine Our Future. Teachers College Press.

9 Sahlberg, P. (2023). Finnish Lessons 3.0: What Can the World Learn from Educational Change in Finland? Teachers College Press.

10 Delaney, D. (2021). Facilitating Intercultural Dialogue in the Classroom. International Journal of Educational Research, 89, 125-138.

11 Melbourne University Research Team. (2024). Long-term Effects of Experiential International Education. Journal of International Education Research, 17(2), 78-92.

12 UNESCO. (2023). Education for Sustainable Development: A Roadmap. UNESCO Publishing.

13 Council of Europe. (2022). Autobiography of Intercultural Encounters. Council of Europe Publishing.

14 Cambridge University Research Group. (2024). Early Intercultural Experiences and Adult Adaptability. Journal of Cross-Cultural Psychology, 55(3), 289-305.

15 Lund University. (2023). Long-term Impact of Intercultural Education on Global Citizenship. International Journal of Educational Development, 78, 102-118.

コメント

タイトルとURLをコピーしました