子供の英語幼児教育、早期教育を早い段階でしたほうがいい理由とは【いつから、脳科学】

本記事で得られる知識

0~3歳ぐらいのお子さんが英語でコミュニケーションを取れるようになるための、早期教育をしたほうがいい理由について具体的に解説します。

記事の前提

お子さんにバイリンガルになってほしいと望むお父さん・お母さん向けです。

ここでは特にこれからお子さんが生まれる方、0~3歳ぐらいのお子さんがいる方の内容となります。

記事の信頼性

こちらに詳細を記載しています。

子供の英語学習

筆者の信憑性

早ければ早いほうがいい

英語を含む語学教育・触れれる環境を作ることは早ければ早いほど効率もスピードも能率も圧倒的に高いので、そうさせたいと思ったらすぐ行動することが大切です。

小学校・中学校のお子さんをお持ちの方もいるとは思いますが、決して手遅れなんかではなくお子様の年齢によって最適化された英語環境の作り方が存在しますので、心配しないでください。これについては別の記事で詳細を書くことにします

早ければ早いほど勝手に真似してくれる

言葉を発し始めるぐらいの幼い時期というのは、言葉を発すること自体に対して好奇心がありますから、相手が言っていることを素直に真似ようとします。

このタイミングでの英語・日本語の環境は非常に効果的で、筆者の息子も2歳の時には既に1500単語程度は自然と真似して絵を見て言葉を聞いて簡単に覚えてしまっていました。

正しい・間違ってるの観点とか、恥ずかしいとかが全くなく、とにかく英語の感覚を身に着けさせる上で大切な「声に出す」という行動を積極的に勝手にしてくれるので、伸びが著しいのです。

筆者の場合、妻が英語を話さないので一方通行ではあるものの、1日の半分以上の時間は英語で話しかけたり、英語でアニメを見せたりして、自然な環境を作るなど工夫はしましたが、何よりも「真似させる」「理解させる」簡単に「Yes/Noで子供に決めてもらう」ことに集中したことが非常に大きかった記憶があります。

恥ずかしいという気持ちがない分早い

4,5歳ぐらいになると、子供は頭で考えて自分の考え・したいことを口にするようになってきます。知能の成長期です。

これぐらいの年になると、恥ずかしい気持ちも生まれてきますし、この時期に「英語を話すという行為を意識させる環境」で英語に触れさせてしまうと、恥ずかしくて言えないということもちょこちょこ増えてきます。

「恥ずかしい」という気持ちは「とりあえず言ってみる」という行動が止まることを意味しますので、反復の回数が少ないのでもったいないです。

言語というのは、私たちが日本語を自然と身につけたときと同じで、とにかく「言うことを繰り返し・話しているところを聞かせることの繰り返し・キャッチボールの繰り返し」といった、「根気と継続と反復」が大前提となります。

特に親に求められる視点ですと「無理せず・強制せず・意識させず」だけど、お子さんには「根気と継続と反復」が必要なので、ここは親としては「心の余裕」が非常に大切になってきます。

頭で考えるようになってきた段階での最適化された英語コミュニケーションの環境と方法はありますが、「素直に真似る時期」に英語でコミュニケーションを取る自然な環境を作るのが、親としても気持ち的にもやりやすいので最も効率がいいです。

自然と複数言語が当たり前の状態で始められる

この記事で最も大切なポイントである「英語という存在を意識しない自然な状況で英語でコミュニケーションを取る環境」を最も作りやすいのが幼い時期になります。

この時期であれば、日本語・英語その他中国語・韓国語でも自然と身についていく時期となります。

多い発音のほうを覚えるほうが耳慣れとしていい

発音は言語によって数が違います。日本語は世界中にある言語の中でも非常に少ない母音で成り立っています。単純に「あいうえお」の5つしかありませんが、英語の発音は30種類もあります。

母音の少ない言語が母語ですと、普段発音しない音を聞き分けること自体が大変です。ですので母音の多いほうの英語の発音を、自然ときちんと発し・そして自然と聞き取れる耳をもたせるには、早いに越したことがないのです。

発音は自分の発音がきちんとできていれば自然と、相手の発音も聞き取れるようになるものであり、そのことからも恥ずかしいという気持ちが芽生える前に、自然と英語の言葉を口ずさめる状況を作るだけでも、発音が向上し聞き分けもしやすくなります。

早く学べせることへの弊害は何か

ネットで調べても一部の専門家の意見では、早い段階で英語を学習することが返って、実際は子供の成長によくないと言われることもちょこちょこあります。

しかしこれはあくまで間違った環境下・間違った意識で子供の英語環境を作ることが原因です。

思考力が養われない?

早期教育がよくないものとしては、思考力の成長が遅くなるという意見があります。

「日本語」「英語」という「言語を話している」ことに意識が行き過ぎると、「言葉のバラエティが多い」とか「正しい文法で話せる」とか、いわゆる日本独特に受験英語のような意識になりがちです。

この受験英語体質で接すると答え合わせが前面に出てしまって、コミュニケーションとしての英語である「自分の意思を伝える・自分の考えを相手に伝える」という思考力が身につかないことになります。

ということは、受験英語的性質ではない環境をつくればそのようにならないことになります。

Double semi lingualism 問題?

これは一般的な日本人の生活であれば日本語100%で生活するところを、単純に英語50%日本語50%で触れれば、単純にどちらの言語力も半減するので、それだとどちらも中半端になるという考え方です。

しかし、これも残念ながらバイリンガルではない方々の想像でしかなく、実際には「表現力」を英語・日本語両方で養うこと忘れずに多言語の環境の下で生活をしていれば、思考力については全く問題なく身につきます。

もちろんきっちろ50%ずつの生活にしていても、日本語勝ちか英語勝ちかするわけですが、「思考力」が落ちることはまずありません。

日本人としてのアイデンティティがなくなる?

保守派の方が多くいう意見で多いのが、日本人(ここでは日本国民)としてのアイデンティティが養われないというものです。

これについては、筆者自身が元保守派の考えであり、この考え方は非常によく分かるのですが、残念ながら日本の教育の場において、保守派の方がいう「日本の伝統を養う」教育といういわゆる愛国心が日本の学校でされているのかと言われると、残念ながら歴史的な経緯もあり非常に薄いと言えます。

むしろ他国の本質的な愛国心を育む教育体制に比べると圧倒的にずれているのが現状です。

保守派の逆はリベラルですが、日本国内における保守・リベラルは本来の意味とはかけ離れているわけで、残念ながら教育業界・日本の教職員の組織というのは「リベラルが大勢」をしめていますし、日本人であることに誇りはもっても、「他国」特に特定のアジア諸国の人たちと比較すると「自分たちのほうが優れている・誇り高い」というこの比較の意識は、筆者としてはあまりいいとは言えません。

見た目・人種・言語・宗教・民族関係なく、お互いの価値観を尊重できる環境でというのが、グローバルな見方を持ってもらうためには必要なことだとは思いますが、日本人としてのアイデンティティを持つこと自体が、極端な話差別的な意識を生んでしまうこともありますので、そういうことを鑑みると、「日本人としてアイデンティティ」というのは、家で養えればいいのではないでしょうか。