今回はメンタル面でのお話です。

 

日本人が英語が苦手というのはある意味で世界では常識となっています。なぜ日本人が突出して語学学習が苦手なのでしょうか?それは日本の英語の学習方法が「リーディング」「ライティング」「リスニング」に特化していることで、一番重要な「スピーキング」「発音・アクセント」がほとんど重要視されないからというのは、何度も他のページにて書かせていただきました。

 

ここでは、「スピーキング」と「発音・アクセント」にトピックを絞って書きたいと思います。

 

語学学習に必要ないのは「恥ずかしさ(とその意味でのプライド)」

語学を学習する上で感じる「恥ずかしさ」というのは、日本人とそれ以外の人々では、大きな違いがあるといつも感じます。

 

日本人は「話せないことに対する恥ずかしさ」や「できないことに対する恥ずかしさ」を「恥ずかしい」と感じることが多いと感じます。言い換えれば、「周りにできないと思われることが恥ずかしい」と思ってしまいがちなのです。これは年を重ねれば重ねるほどステータスや地位を持っている人ほどこういう恥ずかしさを感じる人が多いのではないでしょうか?

 

語学学習をする際に、海外の人が「恥ずかしい」と思うことはどこなのでしょうか?実は「語学が話せないこと」を恥ずかしいと思っている人はほとんどいません。なぜかというと、「最初は間違って当然」という考えがあるからです。間違っていることは「話すことで間違いに気づくほうが断然効率がいい」と感じる人が圧倒的に多いのです。

 

つまり、語学学習をするにあたって全くもって必要のないものというのは「人前で失敗することを恥ずかしいと思う気持ちがあるから話さない」です。

 

日本社会では地位やステータスがあがればあがるほど、妙なプライドが当然ながら高くなってきますから、その意味でいうならば年をとればとるほど、このような「恥ずかしさ」がどんどん身についてしまい、「失敗をすることは恥」と思ってしまう傾向があります。

 

私は1983年生まれですから、学歴社会の末期で育った世代です。両親が教師だったこともあって、私は中学校・高校というのは、興味のない科目に関しては決して成績がよくなかったのに、「成績がいいものが全て」という考えやはり頭の中にありました。中学校・高校の中ではあまり自分から率先して間違うというのは、あまり好きではなかったのですが、短期のホームステイや長期での留学時には、率先して間違って感覚を身につけようと、自ら積極的に言葉を派していました。時間が限られていますから、もったいないと思ったからです。

 

この考えで積極的に話をすると、高校生の時の2週間という短い期間でも、圧倒的に会話力が増していた経験があります。ひさしぶりに日本語を聞いた時、(栃木出身の私としては)なんでこんなに栃木弁って訛ってるんだろうというぐらい日本語に触れずに、積極的に間違ったことで学習効果が半端なく良かった経験があります。

 

ですから、日本人が英語が苦手と思う・思われる根底にある部分はこの「出来ないことの恥ずかしさ」「周りに出来ないことを見られる恥ずかしさ」があるのです。この部分を赤面してでも取り払って積極的に会話をするようにすれだけで、学習効果に圧倒的な差があるのです。