私が中学校の時に使っていた教科書の一番後ろのページに、英語のことわざや誰か有名な人が言った名セリフ的なものが書いてありまして、その中の一つが非常に印象的でした。
「母国語を制するものが外国語を制する」
という言葉です。
国語(日本語)の読解力がある人はない人よりも読解能力が高い
これは日本語でも英語でも全ての言語に当てはまることなのですが、言葉を使ってコミュニケーションをとるというのは、土台としては「考え・思考がある」「理解力がある」があります。
この2つは言語関係なく必ず必要となる要素です。
「考え・思考」と「理解力」を、対人で表現する方法が言葉なので、中学校・高校で習った国語がきちんと身についている方や、読書が好きで(日本語の)小説をたくさん読んでいた方というのは、そうでない方に比べると英語の読解力が非常に高い印象があります。
なぜこのような印象があるのかというと、実は私中学校・高校と英語・数学・音楽だけはずば抜けて好きだったので当然成績もかなり上位ではありましたが、国語(現代文・古文)がまるっきり駄目で、高校の時は成績評価が10段階の中、現代文、古文とも2(5段階でいう1)というありようでした。
ですので、英語のテストでも長文問題というがかなり苦手でした。
ところが、そんなもんなのに英語が好きだから・将来の目標を見つけたいからという理由で、海外に留学したわけなのですが、留学先で英語の読解力がついたため、日本に帰国後日本語の読解力が増していることに気付いたのです。
特にびっくりしたのは、何か長文的なものを仕事で必要で家で書いているところを母に見られたときがあって、その時に言われた一言です。
「どうしてそんなすごい文章がかけるの?」
これは、現代文・古典が致命的だった私にとっては意外で非常に心地いいものでした。
普通は母語の読解力を養ってから、外国語の読解力を養うわけですが、私の場合はあべこべで逆パターンで読解力をつけた形なのです。
少なくとも母語の読解力があれば、外国語の読解は効率よく身につく
私が今でも英語を流暢に話せる理由というのは、何より「英語が好き」だったからに他なりません。
ですから、読解が苦手でもがむしゃらに単語を覚え、発音を維持し、リスニング力をつけということを、「好きだった分」人並み以上にやっていたのです。
その意味では、私のようにそこまで没頭をせずとも、日本語の読解力があれば効率よく身につくという意味で、やはり「英語は誰でもできるようになる」と思うのです。
外国語を学習する際には、幾度となくハードルが迫ってくるものではありますが、この読解が出来るだけで誰でもハードルは乗り越えられるものですので、つまづいてもつまづいたことを忘れられる他の英語学習法に切り替えをするなりして、1日1日前身をしていきましょう。